大阪地方裁判所 昭和44年(わ)4111号 判決 1971年12月17日
被告人 渡辺充春
昭二〇・八・二七 学生
太田俊雄
昭二二・四・一一 会社員
主文
被告人両名を各懲役三年に処する。
被告人両名に対し、この裁判確定の日から各四年間それぞれその刑の執行を猶予する。
訴訟費用は、全部被告人太田俊雄の負担とする。
理由
(罪となるべき事実)
被告人渡辺充春は、大阪歯科大学の学生で大阪革命戦争(大阪における革命のための前段階的武力闘争で、具体的には火炎瓶等を武器とするカルチエ・ラタン闘争、警察署巡査派出所の襲撃および警察官の拳銃奪取等を内容とするもの)の遂行を行動方針として表明していた共産主義者同盟(以下共産同という。)赤軍派の書記局員をしていたもの、被告人太田俊雄は、桃山学院大学全学共闘会議の一員で、共産同赤軍派の下部組織である共産主義青年同盟(以下共青同という。)赤軍派を支持していた活動家であるが、
第一 被告人渡辺充春は、前記共産同赤軍派幹部の指示に従い、田宮高麿、古川経生、神田淳二、大久保文人、福岡信孝、金沢和政、中村栄一、大川保夫、上羽秀和、萩原孝一、松平直彦、森輝雄および堂山道生と共謀のうえ、枚方市牧野阪二丁目一五番三二号所在枚方警察署坂巡査派出所付近路上で警ら中の警察官を襲つて拳銃を強取しようと企て、あらかじめ、古川経生および神田淳二が警ら中の警察官の接近を見張り、かつ合図をする役、大久保文人、福岡信孝および金沢和政が酔払いを装つて右警察官を停止させる役、中村栄一、大川保夫および上羽秀和が右警察官を押し倒して殴打する役、萩原孝一が右警察官にクロロホルムを嗅がせて昏酔させる役、中村栄一が右警察官の拳銃を奪取する役、松平直彦が京阪牧野駅、被告人渡辺充春が同橋本駅、森輝雄が同八幡町駅にそれぞれ待機し、逃走用切符を用意するなどして逃走の手引きをする役等の分担を定め、昭和四四年九月二〇日午後六時ごろから同日午後一〇時ごろまでの間、右役割に従つてそれぞれ所定の配置につき、萩原孝一がクロロホルムの入つた瓶二本(いずれも直径約七ないし八センチメートル、高さ約二〇センチメートルの茶色の丸い瓶に入つたもので、これを嗅ぐと麻酔効果のあるもの)を携帯して前記派出所付近の坂公園内に、古川経生、神田淳二、大久保文人、福岡信孝、金沢和政、中村栄一、大川保夫および上羽秀和が右公園内あるいは近くの道路の傍にそれぞれ身を潜めて待機するなどして、警ら中の警察官を襲撃し拳銃を強奪する機をうかがい、もつて、強盗の予備をなした
第二 被告人両名は、前記共産同赤軍派幹部の指示に従い、
一 共謀のうえ、同月二二日午後七時ごろから同日午後七時半ごろまでの間、大阪市阿倍野区昭和町三丁目一番六四号所在の桃山学院大学構内および同所付近路上において、多数共同して、火炎瓶投擲の方法により同市阿倍野区所在の阿倍野警察署阪南北巡査派出所および同署斎場前警察官交通詰所を焼燬し、かつ、そこで在所勤務中の警察官らの身体に危害を加える目的をもつて、火炎瓶(フアンタ空瓶にガソリンを入れ、布切れおよび脱脂綿で栓を施したもので、右布切れに点火したうえ投擲すれば、ガソリンに引火して爆発発火する仕掛けとなつているもの)約二〇本を準備し金城俊行、平本邦成、増田嗣夫、三木貴穂、田中利和、柏原康平、田中雅寿、木村吉男、野尻守、池田文子、北出誠、大田潤一、北村こと李用吉および恩田勝を集合させ、もつて、他人の身体、財産に対し共同して害を加える目的で兇器を準備して人を集合させた
二 金城俊行、平本邦成、増田嗣夫、三木貴穂、田中利和および北出誠と共謀のうえ、同日午後八時ごろ、金城俊行、平本邦成、増田嗣夫、田中利和および北出誠が、阿倍野警察署巡査長応治磯一および同巡査本沢伸元が現在していた同区阪南町二丁目二番二一号所在同警察署阪南北巡査派出所前路上に至り、それぞれ所携の火炎瓶(一人二本宛、たゞし、田中利和は一本・合計九本)を右阪南北巡査派出所公廨内および同所付近路上等に投げ発火炎上させて放火し、もつて、人の現在していた同派出所建物を焼燬しようとしたが、近隣の住民が消火器等で消火にあたつたため、同派出所公廨の天井板および窓枠などの一部を燻焼させたにとどまり、その目的を遂げなかつた
第三 被告人太田俊雄は、昭和四五年六月四日午後零時三〇分ごろ、前記桃山学院大学昭和町学舎内の本館入口前付近で立看板を書いていた際、たまたま近くの守衛室前付近(同大学正門内側)において、かねて思想的に対立関係にあつた全日本学生自治会総連合支持会議派学生梶本環(当時二一才)ほか数名が、登校・下校する学生らに対し「早急に自治会を再建してクラブ予算を勝ちとろう。」という見出しのビラを配付していたのを認めるや、同日午後零時四〇分ごろ、全学共闘会議派学生木村吉男ほか数名とともに、スクラムを組んで同被告人らに対する警戒態勢をとつていた梶本環ほか数名のそばにおもむき、同所で木村吉男が梶本環に「ビラを見せよ。ビラをまくな」と言つたことなどから、右両者もみ合いのけんかとなつたが、木村吉男の右後方でこれを見ていた同被告人が、梶本環に近寄るなり、突然、右手拳で、眼鏡をかけていた同人の左眼付近を一回殴打し、その結果破れて飛び散つた前記眼鏡のガラスの破片で同人の左上眼瞼三ヵ所を切り、よつて、同人に対し、全治約一〇日間を要する左上眼瞼挫創(三ヵ所)の傷害を負わせた
ものである。
(証拠の標目)(略)
(確定裁判)
被告人渡辺充春は、昭和四五年三月一八日、東京地方裁判所で、爆発物取締罰則違反、殺人予備、兇器準備集合の各罪により懲役三年(四年間執行猶予)に処せられ、右裁判は同年四月二日確定したものであつて、右事実は、同被告人に対する判決(同裁判所昭和四四年合わ三七〇号爆発物取締罰則違反等被告事件)の謄本によつてこれを認める。
(法令の適用)
被告人渡辺充春の判示第一の所為は刑法二三七条、六〇条に、判示第二の一の所為は同法二〇八条の二第二項、六〇条に、判示第二の二の所為は同法一一二条、六〇条に各該当するところ、判示第二の二の罪の所定刑中有期懲役刑を選択し、右の罪は未遂であるから同法四三条本文、六八条三号により法律上の減軽をし、以上の各罪は前記確定裁判のあつた罪と同法四五条後段の併合罪なので、同法五〇条によりまだ裁判を経ていない判示第一、第二の一および二の各罪につきさらに処断することとし、右の各罪は同法四五条前段の併合罪なので、同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第二の二の罪の刑に法定の加重をする。被告人太田俊雄の判示第二の一の所為は同法二〇八条の二第二項、六〇条に、判示第二の二の所為は同法一一二条、一〇八条、六〇条に、判示第三の所為は同法二〇四条罰金等臨時措置法三条一項一号に各該当するところ、判示第二の二の罪の所定刑中有期懲役刑を、判示第三の罪の所定刑中懲役刑を各選択し、判示第二の二の罪は未遂であるから刑法四三条本文、六八条三号により法律上の減軽をし、以上の各罪は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第三の罪の刑(たゞし、短期は判示第二の二の罪の刑のそれによる。)に法定の加重をする。そこで、被告人両名の各犯情について考えると、被告人両名は、判示のごとく、本件当時、共産同赤軍派の書記局員、あるいはその下部組織である共青同赤軍派を支持する活動家であり、被告人渡辺充春の拳銃強取の点は、もし、これが成功しておれば、付近住民はもとより一般社会に対し、多くの不安を与えたであろうことが十分予測され得るところであり、また被告人両名の放火の点は、火炎瓶投擲により、現に民家密集地帯である付近住民を不安に陥れたものであつて、被告人両名の責任は重大で強い非難に価するものといわなければならない。しかしながら、被告人両名は、判示のように、いずれも右共産同赤軍派幹部の指示に従つて右各犯行に加担したものと認められ、拳銃強取の点は、予備にとどまつて実害がなく、その手段、方法をみても幼稚であり、本件犯行現場における拳銃強取の可能性は余り高度なものであつたとは思われず、放火の点は、幸い未遂に終り、燻焼による被害も弁償され、在所していた警察官も直接の危害を蒙つてはおらず、また、被告人太田俊雄の梶本環に対する傷害の点は、同人の受けた傷は決して軽いものとはいえなかつたものの、治療の結果ほゞ完全に治癒しており、さらに、被告人渡辺充春は大阪歯科大学に在学し、被告人太田俊雄は桃山学院大学を卒業して会社員として就職しており、いずれも前途ある青年であるので、その他諸般の情状に照らし、それぞれその刑期の範囲内において、被告人両名を各懲役三年に処し、被告人両名に対し同法二五条一項一号を各適用して、この裁判確定の日から各四年間それぞれその刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文により、被告人太田俊雄の全部負担とする。
(公務執行妨害罪の成立を認めなかつた理由)
一、本件公訴事実中、被告人両名に対する公務執行妨害の点は、被告人両名はほか数名と共謀のうえ、昭和四四年九月二二日午後八時ごろ、前記警察官両名が在所勤務中の右阿倍野警察署阪南北派出所前に至り、それぞれ所携の火炎瓶(合計約一〇本)を同派出所内に投げ込んで発火炎上させ、その際、右警察官両名の公務の執行を妨害したもので、右各所為はいずれも刑法九五条一項、六〇条に該当するというのである。
二、そこで判断するに、判示第二の一および二に関する前掲各証拠によると、被告人両名は、いずれも前記派出所に警察官らが勤務していることを予定し、同所を火炎瓶で襲撃して右警察官らの公務の執行を妨害しようと企て、金城俊行・平本邦成・増田嗣夫・三木貴穂・田中利和および北出誠と共謀のうえ、判示第二の二認定のとおり、前記応治巡査長および本沢巡査が現在していた同派出所内および同所付近路上等に、前記火炎瓶九本を投擲したことが認められ、これによると、右投擲行為は、右警察官両名の身体に対し直接加えられたものではないけれども、間接的に同派出所に在所していた右警察官両名にむけられた有形力の行使であるから、同条項所定の「暴行」にあたることが明らかである。
三、そこで進んで、右暴行が、同条項所定の公務員の「職務を執行するに当り」加えられたものであるか否かにつき検討するに、判示第二の一および二に関する前掲各証拠によると、前記警察官両名は、上司の指示に従い、同日午後六時ごろから、同派出所で、専ら在所勤務に従事していたこと、右派出所は、間口約二・九五メートル、奥行約六・四五メートルの木造平家建モルタル張りで、その北側と西側とがそれぞれ舗装道路に面し、正面である北側のほゞ中央に二枚引戸のついた表出入口があり、右表出入口西側には道路より高さ約一・〇九メートルのところに二枚引戸のガラス窓があり、その内部の状況は、前記表出入口から中に入つたところが、幅約二・九五メートル、奥行約一・五メートルの公廨となつておりその南東隅より片開きの戸を隔てて、南側に休憩室および便所等に通ずる通路があるが、(1)右公廨はコンクリートの土間で、本件当時、北西隅に木製事務机一個、その南側に金属製回転椅子一個が北向きに、また、東北隅に木製椅子二個が並んで西向きにそれぞれ置いてあり、右公廨南側は、高さ約〇・九二メートルの腰板の上部が壁と二枚引戸のガラス窓に分れており、(2)前記通路は、幅約〇・七メートルのコンクリートの土間で、その東側は、中央に二枚引戸のガラス窓があるほかはすべて壁となつており、右通路西側は、休憩室(畳敷二畳の間で、右通路より若干高いが、右通路との間に両者をさえぎる物はなく、この休憩室前通路は休憩室の土間ともなつている。)があり、右通路の南側突き当りは、引戸を隔てて小便所、次いで大便所と続いていること、本件当時、応治巡査長は、右公廨内の西南隅の金属製椅子に、本沢巡査はその東北隅の木製椅子(北側)にそれぞれ坐り、前記表出入口引戸およびその西側窓をいずれも西方に寄せて東方を開放したまゝ、前記のとおり、専ら在所勤務に従事していたところ、同日午後七時五五分過ぎごろ、まず、本沢巡査が小便のため席を立つて右小便所に、続いて、応治巡査長が休憩室でお茶を飲もうと考え立上つて休憩室前通路にそれぞれおもむいたこと(なお、右公廨東南隅から休憩室および便所等に行く通路の手前にある前記片開きの戸は、本件当時、右公廨東側壁の方にくつつくようにして一杯に開かれていた。)、そして、その後まもなく、応治巡査長は、右公廨から少し入つた休憩室前の通路上に立ち、休憩室の方を向き、休憩室に置かれていたヤカンを手にして、ガラスコツプにお茶を入れたのち、これを飲もうとして下をうつむいたとき、一方、本沢巡査は右小便所で小便をしていたとき、前記火炎瓶九本が連続的に投擲されたことが認められる。ところで、派出所における在所勤務の内容は、公共の安全と秩序を維持するため、派出所において、外部の警戒にあたるとともに、諸願届の受理その他の事務処理等に従事するほか緊急事案の処理に備えること(大阪府外勤警察運営規程二条、五条、大阪府外勤警察官勤務規程二七条)であるが、その勤務の性質上、何時でもこれらの事務処理等にあたれるように派出所内に待機していることも職務の執行に属するものといわなければならない。しかしながら、前記認定の事実に照らせば、右警察官両名は、前記火炎瓶九本が投擲される直前まで、右派出所公廨内の椅子にそれぞれ座つて待機し、専ら在所勤務に従事していたが、右火炎瓶が投擲されたときには、いずれも、休憩のため、あるいは用便のため、公廨から離れて休憩室前通路(休憩室の土間)あるいは小便所におもむいていたのであつて待機状態にはなく、一時執務の意思を放棄して右職務から離脱した状況にあつたことが明らかであり、したがつて、右火炎瓶投擲行為をもつて、右警察官両名の「職務を執行するに当り」これに暴行を加えたものと解することはできない。
四、以上のとおり、被告人両名がほか数名と共謀のうえ、前記公訴事実記載の如く、右警察官両名に暴行を加え、その職務の執行を妨害したとの点は、結局その証明がなかつたことに帰する(なお、前記認定のとおり、右火炎瓶投擲は、直接、右警察官両名の身体に対してなされたものではないから、同法二〇八条所定の暴行罪の成立を認めることも困難である。)が、右は判示第二の二の現住建造物放火未遂罪と一個の行為にして数個の罪名に触れるものとして起訴されたものであるから、特に主文において無罪の言渡しをしない。
そこで、主文のとおり判決する。